アニメ「映像研には手を出すな!」第3話 感想&考察(ネタバレあり)現実は狭い世界だと達観する水崎ツバメの凄さ

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アニメ 映像研には手を出すな!
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水崎、金森、浅草のいつメンは、映像研活動を終えて帰路につく。

 

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(C)2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

 

帰りの電車内。並ぶ3人の視界には、読者モデルとして活動する水崎ツバメの広告たち。彼女らの前にやってくる二人の女子。「水崎さん、ですよね?握手してください!」水崎は微笑み、もちろん、と返して握手する。金森と浅草はそれを見つめる。

 

水崎は生粋のアニメ好きで、浅草と同じくアニメ制作への愛は強い。

しかし、浅草とは対照的な華やかな世界に身を置く。現実で放つ輝きには雲泥の差がある。

 

しかし、アニメ制作の場所にひとたび入れば、二人の輝きは同等になる。

 

現実では決して交わることのない二人が、アニメを通じ関わり合う……ということはつまり、現実とは何なのだろう?例えば、アニメが現実で、現実がアニメだったら、水崎と浅草は日常的に仲良しだったはず。「現実」という空間がいかに狭いかを痛感させられる。と同時に、「今、私がいる現実は小さな世界だ」と悟っている水崎ツバメに凄みを感じる。

 

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(C)2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

 

私の中高時代、学校こそが世界だった。

今、ここにあるものが全てで、ここで良しとされなければ自分はおかしい人間なのだと感じた。勉強できるヤツ、スポーツができるヤツはカーストの上位にいて、その能力がない者は降伏するほかなかった。しかし、大人になり、社会に出ると、その価値観がとても小さいものだとわかる。

 

浅草はこの「小さな世界」に畏怖する人間のひとりだ。

だからこそ、サークルに入ることに躊躇してしまうし、人と付き合うことに抵抗する。

まして水崎のような人物は、カースト上位の存在。

 

いっぽうの水崎は、カースト上位にいることを自覚しながら、どこか冷めている。そこでは相応の態度をしても、ここが全てではないと達観している。ゆえに、学校のなかでは「下位」の浅草や金森に対しても普通に接する。ここで判断される「下位」など、狭い空間と考えで定められたものだからだ。

 

彼女は「読者モデル」という仕事に対しても、同等の感情を抱いてるように思う。

電車の吊り広告に載った自分の写真たち。握手を求められる時間。これらが「現実」という狭い世界での輝きであることを彼女は知っている。

 

では、彼女にとって「輝きたい」と思える場所はどこか?といえば、アニメ制作の世界であり、そこで生きる浅草は、自分以上に輝く存在なのだ。

浅草も、「アニメ制作」という場所で水崎に緊張することはない。アニメで繋がった瞬間、二人の間にある壁は音を立てて崩れ去る。空想のなかで走り、暴れる二人。この「空想の世界」こそ、彼らの全てであり、現実以上に広大な場所なのだろう。

 

そこに、金森という現実側の視点が入る。

彼女の存在によって、水崎と浅草は空想から引きもどされる。現実にいることを自覚する。空想にばかりいてはいけない、現実にも目を向けることも大事だ、と金森は我々観客に伝えているように思える。

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