映画「ジョーカー」感想&評価&考察(ネタバレありとなし) コメディ監督が挑む「笑いの怪物」の物語

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

映画「ダークナイト」でヒースレジャーが身を削って演じたジョーカー。

そのジョーカーを主人公にした映画が公開。

最初に聞いたとき、ヒースのジョーカーは超えられないだろう……と思っていました。

 

しかし……超えるどころか、

全く別の角度から、新たな狂気を描くことに本作は成功していました。

 

第76回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀作品賞にあたる金獅子賞を受賞

米国で賛否両論。物議を醸した問題作にして世紀の名作。

 

今回は映画「ジョーカー」について書いていきます!

 

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映画ジョーカー公式サイトより

 

※第二部以降はラスト含めネタバレありです。未鑑賞の方は第一部を読んだ後、鑑賞後、第二部を読むことをおすすめします!

 

 

第一部(ネタバレなし)

 

コメディ監督、笑いの狂気に挑む

 

最初に画面いっぱいに映されるのは、

後のジョーカーである、大道芸人アーサー・フレックの笑顔。

ヒク、ヒク、と喘ぎながら、高笑いをし続けます。頬には涙が伝う。

それは、どこか物悲しい。

 

後に、彼は発作的に笑ってしまう病気を患っていることが明らかになります。

 

この病気のせいで、「不気味」と揶揄され、不遇な人生を送るアーサー。

しかし彼は、そんな病気をも「コメディアン」として昇華させようともがきます。

 

この「笑い」こそが、ジョーカーという存在の本質

不吉な笑みを浮かべ、暗いゴッサムシティを歩き、高笑いしつつ人々を不幸と絶望の淵へ突き落す男。

何故、彼はこの狂気を笑いながら行なうのか?を本作は突き詰めていきます。

 

考えてみれば、過去のバットマン作品でこの本質を追求したものはありませんでした。それは、娯楽作品としてあまりに残酷で淀んだテーマだからでしょうか。

 

この未踏のテーマに挑んだのは、「ハンクオーバー!」など、数々のコメディ作品を生み出したトッド・フィリップス

彼はこれまで「病的なまでに個性的なキャラが巻き起こす珍騒動」をコメディとして描いてきました。しかし、「ハンクオーバー!」とか特段そうなんですが、狂気のサスペンス作品にもなり得る大筋なんです。

つまり、笑いと狂気は紙一重今回、トッドは後者の「狂気」へ舵を切ることに挑んだのです。

 

トラヴィス・ビックルとジョーカー

 

トッドが「狂気」を描くにあたりモチーフにしたのは、マーティン・スコセッシの映画「タクシードライバー

 

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タクシードライバー – 作品 – Yahoo!映画より

 

ニューヨークでどん底の生活を送るトラヴィス・ビックルが、自分の存在価値を世界へ認めさせようと狂気の行動をみせる様子を描いた作品。

 

タクシードライバー」の主演であるロバートデニーロが「狂気と真反対の存在」として登場し、終盤、アーサーと対峙していくことからも、繋がりや影響は明らかです。

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

私たちの頭の中では、このストーリーは1970年代後半から80年代初期の設定です。これには多くの理由がありますが、主な理由はDCユニバースから切り離すため…。今までの映画で観て来たジョーカーと、このジョーカーが共存することは避けたかったのです。そのため意図的に、すべてその話が起こる前に設定しました。『タクシードライバー』、『狼たちの午後』、『キング・オブ・コメディ』のような映画の時代に起こった出来事としてつくりたかったことは確かです。当時(70年代)のスタジオは、キャラクター描写の作品を制作していました。それは効果がありましたね。(【インタビュー】『ジョーカー』トッド・フィリップス監督、『ダークナイト』原作のファンであることを明かすより引用)

 

境遇や、その後に起こす狂気に至るまで、トラヴィスとアーサーの共通項は多く、いかに影響を受けて作られたかが推察できます。

 

新たなジョーカーの構築

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

トラヴィス・ビックルの狂気をモチーフにしつつ、トッドは「新たなジョーカー」を生み出すことに挑みます。

本作で加わったジョーカーの新たな要素として、「悲哀」が挙げられるでしょう。

バットマン リターンズ」や「ダークナイト」では描けなかったジョーカーの半生を丹念に積み上げていくことで、「悲哀のジョーカー」というキャラクターを構築したのです。

 

この「悲哀」を見事に演じ切ったのは、名優ホアキンフェニックス

 

前述した「悲しみを帯びた笑顔」という冒頭のシークエンスから、「今回のジョーカーは悲哀です」と観客に宣言してみせます。その説得力のある演技にまず度肝を抜かれる。

その後、少年たちにからかわれ、殴る蹴るの暴行を受け、道路に寝そべるアーサー。

絶望に満ちた表情に、観客はさらに同情を深めていきます。

 

そして、トドメはアーサーの肉体。

20キロ近く減量したホアキンの身体が画面に映し出されます。

 

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ぺっこりへこんだ腹。浮き出る骨の輪郭。この衝撃的に貧相な身体が彼の性格と生涯を物語ります。

 

入り乱れる現実と虚構

 

この「悲哀」と「狂気」から、アーサーは心身ともに疲弊し、

ついに「虚構と現実」の隔たりが消えていきます。

彼の妄想は現実であり、現実こそが妄想なのでは?そうした感情がアーサーのなかに沸き上がり、ついに「行動」してしまうのです。

 

第二部(ネタバレあり)

 

※以下、ネタバレ含みます!

 

アーサーが初めて「命を奪う」瞬間

 

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地下鉄。列車のなか。

座るアーサー。ズボンには、大道芸人仲間のランドルから「護身用に持っておけ」と渡された拳銃。

 

同じ車両。女性が一人、座っている。

そこへ、三人の男性。

女性をからかう男性たち。

それを見つめるアーサー。

突然、発作により笑いだすアーサー。

 

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振り向く男たち。その隙に逃げる女性。

 

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男たちは、アーサーに歩み寄る。

笑いが止まらないアーサー。

男たち、アーサーを殴る。蹴る。「気持ち悪ィんだよ!」

銃撃の音。男の一人が血を流し倒れる。

銃を手に持つアーサー。他の男二人は逃げる。

追いかけ、銃殺するアーサー。

列車が停まり、生き残った男は列車の外へ。

その後ろから、銃弾を浴びせる。

動きの停まる男。見下ろすアーサー。

 

彼が初めて、ヒトの命を奪った瞬間。

 

何故、彼は我慢出来なかったのか。

今までどれだけ理不尽な目に遭っても、耐え続けてきた彼が、何故、抑えることが出来なかったのか。

女性を助けようとした」いや……そうは思えない。

なぜなら、女性が男たちに囲まれている時、アーサーは、まるで「日常のささいな一場面」のように眺めている。

 

本作のジョーカーについて、

ピュアで心優しい青年が絶望の末に悪に堕ちる

という評がいくつか散見されるが、私はその解釈ではない。

彼はピュアでも、心優しくもない。

三人の男を殺した理由は、自分自身のために他ならない。

 

このシーンで、アーサーという人物の複雑な性格と心理が浮き彫りになる。

 

描かれる「虚構」

 

アーサーは何故、妄想=虚構を生み出したのか。

それは、そこにすがるしか彼が幸せに生きられる術がなかったから。

不遇な境遇を笑い、妄想を続けることで、現実から逃避し、「自分の世界」を構築してきたのだ。

 

しかし、終盤、その虚構が崩れ始める。

 

繋がっていたと思っていた隣人女性・ソフィー。

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

彼女との数々の思い出は全てアーサーの妄想だった。

 

最愛の母・ペニー。

ずっと、自分はペニーの息子だと思っていた。

しかし、自分はペニーの養子であること、「発作的に笑う」障害はペニーの恋人による虐待から生まれたもの、その虐待をペニーは黙視し続けていたことが明らかになる。

 

途端に虚構が崩れ、生きる意味を見失ったアーサー。

 

彼はその足で、ペニーが入院する州立病院へ向かう。

 

皺だらけで目を細めるペニー。

ペニーはアーサーに語り掛ける。

アーサーは静かにペニーに近寄り、彼女の顔に枕を覆う。

呻くペニー。次第に呼吸が消え、彼女は息を引き取る。

 

自宅に戻るアーサー。

彼は髪を紫に染め、顔に白いメイクを施し、自身をピエロの様相に仕上げていく。

 

そこへ、二人の男性がやって来る。

それは、大道芸人時代の仲間たち。

アーサーは彼らを自室へ招き入れる。

 

仲間のひとり、ランドルは手にした酒瓶を掲げ、

「元気か?」と呼びかける。

芸人部屋に警察が来て、アーサーのことを聞きにきたこと、地下鉄の殺傷事件の犯人ではないかと警察が考えていることをランドルはアーサーに告げる。

笑みを浮かべるアーサー。隠し持っていたはさみを振り上げ、ランドルの顔に突き刺す。

吹き出る血が、アーサーの顔を覆う。高笑うアーサー。

 

彼はそのまま、部屋を出ていく。

 

 

……ここまでのシークエンスで、

虚構が破壊 → 現実に目を向けざるを得なくなる → ツライ現実。逃げたいが虚構はもうない。では手段はただひとつ。現実を破壊することだ

と、アーサーの心境が怒涛のように変化していく。

そして、彼は「現実」を「虚構」にすり替えようとする。その象徴となるのが、彼がピエロのメイクを始めるシーン。まず自分自身が虚構になることで、世界を虚構にしていくことを高らかと宣言するのだ。

 

 

目の前の「現実」を打ち破ったアーサー。

そこへ、アーサー逮捕のため、二人の警官が現れる。

地下鉄の列車へ逃げるアーサー。

そこには、たくさんのピエロたち。

アーサーの狂気の行動に感化された市民が、彼を真似て暴徒と化していたのだ。

 

ピエロたちは二人の警官を、殴る蹴るの暴行で潰していく。

それを見、笑みを浮かべるアーサー。

彼はその足で、出演が決定していたテレビショーのスタジオへ向かう。

 

ショーという「虚構」のなかの、生放送という「現実」

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

テレビ局。楽屋で化粧を直すアーサー。

そこへ、ショーの司会であるマレー(演・ロバートデニーロ)とディレクターがやって来る。

ディレクターはアーサーに、ピエロの化粧をやめるよう勧告。しかし、マレーはそれに反論する。ピエロの様相で出ることを渋々許可するディレクター。アーサーは二人ににこりと笑いかけ、こう告げる。

 

「自分を『ジョーカー』と呼んでくれ」

 

そして、テレビショーという「虚構」が、生放送という「現実」を帯びてスタート。

マレーは、ゲストであるジョーカーを紹介する。

 

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カーテンが開き、観客の前に現れるジョーカー。

彼は小躍りし、マレーのもとへ。そこにいたキャストの年配女性に熱いキスをした後、席へ座る。驚きと困惑に満ちた表情の年配女性。ジョーカーはマレーとの会話をスタートさせる。

 

 

この「年配女性」は、「現実の象徴」である。

ソフィーと熱いキスを交わすことで、アーサーとソフィーの関係が始まった……というアーサーの「妄想」は、虚構として崩れた。現実ではキスはしていない。

しかし、ジョーカーは「現実で」キスをした。もはや彼のなかに現実と虚構の壁は存在しないことを物語る場面だ。

 

 

ジョーカーは意気揚々と観客やマレーに語りかける。

そのたびに観客やマレーはジョーカーを馬鹿にする。意に介さずピエロを演じた後、彼は地下鉄殺人の犯人が自分であることを公表する。

どよめく観客。眉をひそめるマレー。マレーはジョーカーを問い詰め、非難する。

 

ジョーカーは激昂する。

 

自分が死んで道端に倒れていたとしても、みんな踏みつけて立ち去るだけだ。

しかし、他の人々が死ねば、悔やみ、同情する。

 

そして、彼はマレーを銃殺する。

逃げ惑う観客たち。

その様子は、たくさんのテレビで放映されていた。

 

場面変わり、ゴッサムシティ。

ピエロの面を被った暴徒が暴れ回っている。

そのなかを走り抜けるパトカー。

そのなかに、ジョーカーがいる。

窓に額をつけ、その様子に笑みを浮かべるジョーカー。

彼の存在が、人々を暴力と狂気に誘ったのだ。

 

そして、次の瞬間。

救急車がパトカーに激突。

救急車から、ピエロが現れる。

 

ひとりじゃない

 

ピエロはゆっくりとパトカーの扉を開ける。

血を流し倒れているジョーカー。

ピエロたちは、彼を持ち上げ、ボンネットへ載せる。

目を覚ますジョーカー。立ち上がると、そこにはジョーカーの存在に歓喜する無数のピエロたち。

微笑み、躍るジョーカー。

 

もう、ひとりじゃない。

もう、妄想じゃない。

彼の虚構が人々を突き動かし、現実を生み出したことを証明する瞬間である。

 

The End

 

高笑うジョーカー。

そこは、州立病院の一室。彼の前には精神科医の女性。

笑い続けるジョーカー。

 

「何がおかしいの?」

「ジョークを思いついたんだ」

「聞かせて」

「君には理解できない」

 

病院の廊下を、てく、てくと歩くジョーカー。

彼の足跡は真っ赤な血で染まっている。

呼びかける病院職員。スタコラサッサと逃げるジョーカー。追う職員。

画面いっぱいに広がる「End」の文字。フランク・シナトラの「That’s Life」が流れ出す。

 

 

まるでコメディ。

ここで、私たち観客はアーサーという人物の本質を知る。

彼はただ、「楽しませたい」だけなのだ。

自分を楽しませ続けた孤独な男は、いつしか周りを楽しませることを願った。しかし、それは叶わなかったのが今までの日常。

しかし、彼はジョーカーになることで、人々の心を動かし、「楽しませる」ことに成功した。

 

彼は生まれてから今まで、常にピエロだったのだ。

 

アーサーは報われたのか?

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

ジョーカーのした行動は許されるものではない。

映画自体も、彼を賛美するようには作られていない。

しかし、すっかりアーサーに同情の念を抱いてしまった私は、「アーサーが幸せになってほしい」と願っていた。

 

彼は、報われたのか?

 

それは、階段というモチーフで語られている。

 

長く続く階段。

その先には、白と青が混じる空。

そこを登るアーサーの背中は、物悲しい。

 

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しかし、終盤。

ジョーカーとなったアーサーが階段を降りる時。

すがすがしく、笑みが溢れている。

立ち止まり、躍り出すジョーカー。世界の主人公は自分だと言わんばかりの優雅な舞い。

 

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(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM &(c)DC Comics

 

彼は、前を向く=階段を登る、ことで苦しみ続けていた。

階段を降りる=現実に背を向ける、すなわち「堕ちていく」ことで、幸せを手に入れた……と、私は解釈している。

 

総論:映画「ジョーカー」は何を残したのか?

 

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私が映画館で本作を観終わった後、周囲には静かな沈黙が流れていました。

その後、観客の口から出た言葉のなかに、「面白かった」という言葉は聞こえてきませんでした。

 

「すごかったな……」

「かっこいいが勝っちゃった」

「ジョーカーを責められないよね」

 

私も観終わった後、感想に困ってしまい、

友人と見に行ったのですが、その後の食事でも上手く言葉にできず、

「いやー」「うん、すごい」しか言えませんでした(笑)

 

私のつたない言葉ではまとめられないほど、

様々な感情とテーマが詰まった本作

絶望?狂気?いや、それでもない。幸せ?いや、でもない。

では何か?いやー……なんなんだろう……

このもやもやを今回は懸命に言語化していきました。するとこんだけ長くなってしまいました(汗)長文スイマセン(汗)

 

今回書いた内容以外にも語り足りない部分はわんさか。

たとえば、登場する州立病院が「ダークナイト」で爆破した病院だー!とか、後のバットマンである少年ブルースウェイン周りのシーンがコミックに寄せて作られているところとか……。*1アメリカ合衆国の問題をを揶揄するようなストーリーラインもアツく語りたい!

 

世紀の大名作

オスカー入りは確実でしょう。

以上、映画「ジョーカー」レビューでした!

 

 

ダークナイト の私のレビューはこちら↓

 

※一部画像はYouTube及びYouTubeより引用しました。

*1:初期編集版ではもっとDC絡みのシーンがあったらしいです。早く特典映像が観たい!

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