【雑記】自分が「こうありたい」と思った人を列挙し特徴を挙げる

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いまのわたし。

何度か本ブログで語っていた通り、社会人1年目はツラかった。

仕事、人間関係。そのどれもに苦戦し、学生時代に培った自信が崩壊した。

やがて、ブログ、Webデザインを余暇で取り組むことで「自分にしかない強み」を作ったり、仕事を徐々に覚えて成果を出したことで、「自信」を少しずつ取り戻してきた。

しかし、ここへきて再び自信が消えた。

今、仕事においても人間関係においても、特段不満はない。

趣味も充実している。

しかし、何か物足りない。何をしてもトキメかない。

なぜだろう?

たぶん、幼少期に思い描いていた「26際の自分」と、今の自分が大きく乖離しているからだ。

幼少期の「理想の自分」は映画監督だった。

オリジナル脚本を使って、メガホンをとる。

しかし今の自分は、しがないリーマン。それも「映画」とは程遠い仕事をしている。

昔から、映像をつくったり、文章を書いたりするのが好きだった。しかし今はどうか。映像も文章も書かない。ひたすら事務的に、キーボードを叩き、得意先へ向かう。

決して、ツラくないし、苦しくもない。周りにも恵まれている。

しかし、自分の仕事に対するモチベーションは「周りに迷惑をかけたくない」だけ。

このままでいいのか。どうなりたいのか。この一週間それをずっと考え続けていた。

そして気づいた「理想の人物像」。その答えは今からご紹介する偉人たちにあった。

わたしの「こうありたい」人たち

庵野秀明

言わずと知れたアニメ監督。代表作はエヴァンゲリオン。

彼と他の作家が異なる点は、「苦しんで作品をつくっている」ところ。

異常なほど登場人物に心酔し、時には自分の欲望をキャラにぶつけてしまう。そして、そんな自分に嫌悪し、主人公を痛めつける。主人公は「庵野秀明」ではないのに、いつの間にか「庵野秀明」になり、やがて主人公=自分を殺しにかかる。

しかし最後は、やはり自分の考えや存在が愛おしくなる。というより、そうしなければ自分の存在を否定することになるから、庵野秀明は最後に主人公を肯定する。

それも無理矢理。そこにロジカルはない。

その彼の生き様に、妙に惹かれる。

わたしはツイッターでイラストを投稿している。時々漫画も書いている。最初は「みんなが面白いと思えるものを」「楽しいと感じるものを」と思って書き始める。

しかしやがて、そんな自分が嫌になる。

楽しんでもらいたい、というのがエゴに思える。

そもそも人が本当に楽しんでいるかなんてわからない。「すごーい」「可愛い!」と言われても、それが真意かなんてわからない。

イラストを見せて「すごい!ありがとう!」と言ってくれた方が、別の方のイラストを見て全く同じ反応をしている、という光景を何度も見る。

「めんどくせーやつだな!」と思うかもしれない。うん、はい、すいません。。。

そこへいくと庵野秀明は自戒のために作品を作っているように思える。誰かを楽しませたいが根底にあるのは間違いないが、それ以上に「自分の汚い部分」を清算するために作品を作っている。

つまり、彼の作品は、彼の人生そのもの。彼そのもの。

そんな作家に惹かれる。自分を正直にさらけ出す作家・庵野秀明に惹かれる。

シルヴェスタースタローン

「ロッキー」の生みの親。

わたしはロッキーヲタクで、とにかくツラいときはこの作品に救われた。

彼も庵野秀明同様、作品に自己を投影する。

借金取りで日銭を稼ぐ売れないボクサーは、貧乏ゆえにポルノに出演していた売れない俳優だったスタローンそのもの。

彼がリングに立ち、ズタボロにされる様子は、売れない俳優であるスタローンがハリウッド映画に立ち向かう姿に重なる。

嘘偽りない、ズタボロの自分をさらけ出す。

みんながそれを見て笑うかもしれない。でも笑わせておけ。

「自分を信じて生きろ。でなきゃ人生ではなくなる」

ロッキーはズタボロになりながら、観客にそう語り始める。

わたしはそのシーンで、毎回涙が止まらなくなる。

今の仕事。必死に頑張り成果を出しても、評価されるのは上司にとり入るのが上手い同期。苦しんでいる後輩に手を差し伸べ、背中を押したのに、その後輩に裏切られる。

なんのために働いているんだろう?

理不尽な体験、人からの裏切り、嘲笑。

そんな1年目時代の渦中、たまたまトイレで出会った先輩が、わたしにこう声をかけた。

「見てる人は見てるからね」

おそらく、スタローン自身もその気持ちで前へ進み続けている。

松本人志

お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志。

彼の尊敬する点は、一貫して「笑い」を追求しているところ。

日々、新しい笑いを追求する姿勢に、常に感銘を受ける。

思えばわたしの過去はずっと何かから逃げていた気がする。

「映画をつくりたい」と思っていたが、スタッフと喧嘩したことで映画がイヤになり、演劇に逃げた。演劇をやりながら、心のどこかでは「映画」が渦巻いていた。やがて就活か演劇を続けるかの二択を迫られたわたしは、愛すべき「演劇」よりも「就職」を選んだ、というか、逃げた。貧乏覚悟で演劇を続ける覚悟がなかったのだ。そして就職してから、仕事や人間関係の壁にぶち当たったわたしは、筋トレやブログに逃げた。

そして今。自分を見失い始めた。

いろんなことをしてみた。しかしそのどれもが、自分ではない気がした。

そこへいくと松本人志は、決して笑いから逃げない。いつだって、どんな形であれ、笑いを突き詰めている。

そこへいくとわたしはどうだろう?

小さい頃から好きだった映画を突き詰めているのか?

松本人志を見ると、毎回、その葛藤がぶり返し始める。

どうありたいか?

わたしが挙げた3方の共通項は、

・ 一貫性がある

・ 自分をさらけ出している(ウソがない)

・ 表現をしている

ところにある。たぶんこれこそが、自分が「ありたい姿」ではないかと思う。

そこをなし得なければ、このモヤモヤや葛藤が消えることはない。

そんな気がしている。

では、どうなし得るか?

それぞれを具体的に定めるより他ない。

この「具体的に定める」を、本ブログを通じて模索していく。

期限は今月末。

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